「誰かの為」に、生きて来て

昔から、

「食欲の秋」と言われていたが、

歳を重ねると、

「人恋しい」秋を、感じる。

 

コロナのせいもあり、

友人や知り合いからの、

連絡も途絶えがちである。

 

久しぶりの連絡は、

亡くなった話や、

入院した話や、

施設入所の話である。

 

70歳を越えても、

生き生きと、働いていた人達が、

リタイヤしている。

 

生活保護、受けようと思う」

「子供と、同居しようと思う」

「施設に、入ろうと思う」

其々の、エンディングである。

 

描いた老後とは、

程遠く、希望通りにはならず、

 

「お金さえあれば」

何とでもなるの人達も、

「元気でさえいれば」

どうにかなるの人達も、

その時が来たら、

誰かに、委ねる時が来る。

 

主人を見送り、

子供達も、独立して、

長い年月、

「誰かの為」に、生きて来て、

 

束の間の、

開放感と、自由な暮らしも

あっという間に、

閉塞感と、不自由な暮らしに変わる。

 

一人では、

怒ったり、泣いたり、笑ったり、

できない時間の中で、

「誰かの為」に、生きて来た事を、

思い出すのである。