「死ぬかも知れない」と、思った日

「死ぬかもしれない」と、

思ったのは、

今回が初めてである。

 

数日前からの、

自分の身体に起こる、

体調の変化は、尋常では無い。

 

医療器具が示す数値が、

異常値を、まだ表さず、

「様子観察」で、家に押し戻されるが、

 

何処かで、

私だけは、「死ぬかもしれない」と、

確信していた。

 

首から下、全体が、

痛かったり、違和感があったが、

脳だけは、しっかりと、

現実を把握していた。

 

明日の朝、

一番の救急車で、

病院に運ばれるだろうと、

想定していた。

体内のメカニズムは、

完全に狂い、波動は乱れていた。

 

その中で、誰にも言わずに、

明日、

「死ぬかもしれない」準備をした。

 

「年を経て」

家族もいなくなり、大きな家から、

手の内で、

動ける程度の家を見つけていたので、

家事も簡単、物も増えず、

いつも、整理整頓されていた。

 

「こんな日が、

来る事を、知っていたかのように」

いつ消えても、良いように、

準備は完璧!

 

どこか、遠くで、

「救急車」のサイレンの音がする。

自分の命が、事切れた瞬間を、

覚えている。

 

見慣れた主治医の、暖かな手が、

私の手を握りしめて、

「救急車を!」と、支持している。

若い看護師が、

泣きそうな声で、「脈が取れません!」

と、叫ぶ声を、最後に聞いた。

 

「外れかけた命」を、

離さずに、そばに居続けていた人は、

誰だったのかは、

いまでも、わからない。

 

「私の心臓」は、

乾いた、提灯のように、

止まったまま、

私の顔の前で、ぶら下がっている。

 

「海底を抜けてゆくスピード」は、

光さえ、寄せつけず、

「命を繋ぐため」の、青い部屋に、

運ばれていく。

 

恥じらうまでに、真っ裸にされて、

「温かな消毒液」が、

冷たくなった私の身体を、洗い流してゆく。

 

鼓動も、呼吸も、血液の流れる音も

無い世界で、

「あの世の境界線」に、片足を引っ掛けた、

私の白い身体が、見えている。

 

聞いていた、

「お花畑」もなければ、

「亡くなった知り合いの顔」も見えない、

せめて、「三途の川」くらいは、

見たいものである。

 

思わず、

「まだ、終わりませんか?」

と、口をついて、出た言葉に、

「今から、始めていきますよ」

と、私の命の手綱を握った人が、

耳元で、囁いた。

 

「回る螺旋の中」で、

目は開かず、手足は動かず、

でも、

声と音が、だんだんと大きく

聞こえてくる。

 

意識がなくなっても、

「声は聞こえるのよ」と、

誰かが言ってたのは、本当だった。

 

医療器具のガチャガチャ

見た事もない映像のザーザー、

私の命を打つ音が、ピーピーと、

なっている。

 

そして、

私を「あの世から引き戻してくれた」

若いドクターたちや、

ベテランの看護師の笑い声が、

鼓膜を破れるほどに、響いている。

 

「命は時間であること」を、

実感して、

生きて、味わえた、

「死の瞬間」「生の瞬間」

救われて、与えられた命であった。