「人一人」の人生は、陽炎の様に儚い

生気が、抜けた、

呼吸すら出来ない、

地震後の、被災地に、

いまだ、「生きる為の支援」が、

届かないでいる。

 

世界の救援隊は、

一刻も早くと、

現地に向かうが、「到着できない」でいる。

 

いまや、

水浸しの日本列島も、

同じ様に、悲惨な目にあっているが、

「豊かな国」であるが故に、

上から下から、

救いの手は、伸びてくる。

 

貧しい国に、

「幸せ」は、束の間で、

「不幸せ」は、どこまでも居座る、

この法則は、

どこからやってきたのだろう。

 

 

地球の過渡期の、

「一大事」に、

温暖化だけでは成らぬ、

自然崩壊、

自然異常気象、

 

そして、

それらの「弱味」に、

追い打ちをかけてくる、

専制主義の国の、党首達。

 

外から見ただけでは、

計り知れないほど、

家庭や、国の、内情はあるが、

 

いまだかつて、

相手を慮り、敬愛し、

我が身を投じて、

悲劇に遭っている国や家庭を、

救いきった、人間の行為を、

見た事はない。

 

「人一人」の、

心は弱く、身体は小さく、

「人一人」の、

人生は、陽炎の様に、儚い。

 

それでも、

自分より不幸な人を見たら、

「静か」に、

手を差し伸べれるだらうか?