20年間、
「どこの誰かも、わからない私」を、
支援してくださった、貴方のおかげで、
今日まで、
私は、「生きて来れました」
この世に、
そのような人が、
存在しているというだけで、
生まれて来て良かったと、思っています。
その場に、いる人達は、
皆んな、泣いていた。
涙が、止まらなかったのである。
美しい、一人の少女が、
「思い続けて来た人」と、
生きて、出会えて、お礼が言えた事、
間に合った事が、
彼女に取っては、「奇跡」であった。
目の前のベットに、
横たわるこの人が、
親でもなく、知り合いでもないのに、
何故、
「あしながおじさん」のように、
働き続けて来たお金を、
私の為に、出し続けて来たのか、
どうしても、知りたかった、
「優しい笑顔」で、
「澄んだ瞳」で、見つめている、
一人の老人の前では、
言葉は、無用であった。
深い意味など無く、
「親のいない」赤ん坊を見て、
自分のすべき事だと、
当たり前に、思っただけである。
この手で、おむつは変えれない、
ミルクも、飲ませてやれない、
そして、
「暖かな胸」で、抱きしめることは、
出来ないならば、
自立するまでの、20年間、
自分ができる、
ささやかな事であり、
精一杯の、「使命」である。
「我が子でなくても」
目の前にいるこの子と、出会い、
知らん顔して、通り過ぎるわけには、
行かなかったのである。
その為に、
命を与えられたとすれば、
「ありがとう」と、
言わねばならないのは、
自分の方であると、
思い続けて来た20年であった。
だから、
「数ヶ月の余命」を受けて、
生きて、
この世の我が子に、
お礼を、伝えたかった。
「お金しか与えられなかった」
薄情な人間を、許して欲しいと、
死ぬ前に、
暖かなその手を、握りしめたかった。
「会わずに死ぬ事」を、
神様に誓ってきたはずなのに、
最期に、
「神様との約束」を破っても、
切なる願いを、叶えたかった。
血を分けた子供でもなく、
どんな子供かも知らず、
「ガラス越しに、見た赤ちゃん」が、
天使のように、
自分に笑いかけた様に見えた、
「錯覚」
「あの時の天使」が、
目の前にいる幸せ、
これほどの「感動と感謝」を、
味わえる人生も、
世の中には、少なからずある事を、
知ったのである。