令和〇年、没す。

元号が、令和と決まった時、
「私は、令和?年に、亡くなるんだな」
と思った事は確かである。
めでたい時に不吉な発想と言われても、この歳になると、死を引き換えに考えてしまうのが、
常である。

2020年に開催されるオリンピックが決まった時も、
「ギリギリ、見れるかなー」
と思っていた。
遠い未来の話は、良き事も、悪しき事も、存在があやふやなので人ごとである。

全ての地球上の生き物は、生を受けた瞬間から死に向かう事は、不老長寿の薬ができない限り、否定はできない。
人間の最後の挑戦が、死に向かう時だとすれば、やはり、誰にでも恐怖と不安がつきまとう。

誰でも、死にたくは無い。
私が私で無くなり、この世から消えるわけで、
その私が何処に行くのかは、戻ってきた人がいないので、想像は募る。

「天国には、神様がいる」
と、一番最初に言った人は誰か知らないけれど、ありがたい話である。
死んだら、天国で待って下さる偉い人がいる、
それも、この世の創造主。

何千年を越えて、語り継がれてきた神様のストーリー。
それが宗教である。
ただ、色々な神様がいるので、話を聞いて、自分で選ぶしか無いのである。

本物に出逢いたいと、宗教のセミナーに行っても、教会に行っても、会えるかどうかは疑問である。
安らかな死へのガイドブックがあれば、怖がりの私には必要である。

ただ、神様の姿は見た事はないが、時々、日常の暮らしの中に、気配を感じる時がある。
「生きて来て良かった、ありがとう!」
と、見えない誰かに伝えている瞬間がある。