「終の住処」など、探せない

いつの日か、

「終の住処」を、探しに行こうと、

見た夢は、

厳しい問題になっている。

 

高齢者が、

住みたいと願う、

「売り家」も、「賃貸」も、

売っても貰えないし、

貸してもくれない。

 

まだ、家族が一緒ならよいが、

「一人暮らしの独居老人」は、

お金を持っていても、おことわり、

 

理由は、

孤独死」があるから

「ゴミ屋敷」になるから、

「家賃やローンが滞る」から、

と、いう理由らしいが、

言い返すほど、勇気はない、

 

なぜなら、

ひょっとしたら、

自分自身もどうなるかわからない、

把握できない、「高齢者状態」

 

ある程度、歳を重ねると、

あちこちから、聞こえて来る、

友人、知人の、「問題行動」

 

あの人だけは、

「絶対」、大丈夫!は

決してあり得ない。

悲しいかな、

人間という生命体は、

100年も経てば、壊れてゆく、

 

古くなったタイルが、

一枚ずつ、

本人も気づかないうちに、

剥がれ落ちてゆく。

 

背中で、

小さなタイルの、落ちる音を、

周りにいる人達にも、

確かに聞こえているが、

誰も「聞こえない」ふりをする。

 

それが、

高齢者に対する、

「優しさ」だと、感じているから、

「終の住処」など、

もう探せないのである。