人間を「人手」と呼ぶ失礼さ

白い霜がついた、

窓ガラスに秋を感じて、

「今年」が、無事に過ぎて来たことに、

感謝する。

 

コロナを発端に、

世界中が過渡期に入り、

「誰もが止めようもないほど」の、

変容の時代を迎えている。

 

何事にも、

遠い国の出来事、

それぞれの過去の歴史を、

繰り返し、

多くの命が、失われていても、

「どこ吹く風だった日本」も、

歴史に刻まれるほどの、

大惨事になってゆく。

 

あっという間に、

一流と言われていた、

「化けの皮が剥がれて行き」

国レベルのイベントの裏の世界で、

蠢く大企業の不正。

 

もはや、会社の規模ではなく、

世界の基準に外れた、

企業は、看板を外し、

人間が持つ技術こと、

彼方へと、消えてゆく日が来た。

 

会社の仕事を名誉と重んじ、

働く従業員の未来を守る、

そんな経営者は、

この日本には、

今は、「存在しない」

 

何か不正が起これば、

テレビカメラの前で、

幹部が雁首そろえて、

陳謝すれば、罪は軽く、

何事もなかったように、ビジネスは、

引き継がれてゆく様は、

 

これからの時代には、存続しない。

「社長が死のう」が、

「会社が潰れよう」が、

事と次第によっては、、

人間の尊厳を、壊した賠償は、

未来永劫、

決着がつくまで、続いてゆく。

 

政治家も、

会社の経営者も、

メディアも、口をそろえて、

「人手」が足らないという。

 

人間を、「人手」と呼び、

「人手不足」が、経済を悪化するという。

何故、人がいなくなったのかを、

考えない限り、

誇れる会社など、

創れるわけがないのである、