親は「息子や娘の乗る列車」に、乗ってはならない。
一般的には、
人生最大の喜びは、
「我が子の誕生」と、
思っている人も、少なからずいる。
生まれたての赤ちゃんは、
どの子も、変わりはない。
生まれて初めて、
胸に抱き、
「親は」、自分の生まれ変わりの如く、
錯覚してしまうので、
希望通りではなかった時は、
厄介である。
どちらが生まれても、
親の愛(願い)は、
「海よりも深く、空よりも高い」ので、
生まれたての赤ん坊にとっては、
期待されたら、
「えらい迷惑」である。
医学的にも、科学的にも、
遺伝子は、入っておらず、
どう足掻いても、
「それ以上の高望み」は、なさらん事である、
子供は、ほっといても、
与えられし、環境の中で、
親の、理不尽や、思い込みを、
押し付けない限り、
「スクスク」と、
あっという間に、大きく成長する。
ちょっとくらいの、
「頭の悪さ」も、
お世辞にも、
「イケメン」「美女」とも、
言えないのも、
親の責任もあるかもと、諦めるがよい。
どの瞬間かはわからないが、
親の知らない間に、
子供らは、
「悲しみや寂しさや苦しみ」を、
経験して、大人になっていく。
汚れた社会、
理不尽な世の中、
「教えを乞いたい聡明な人」など、
見当たらず、
「家族も他人」も、信頼できずに、
孤独の中で、引きこもる。
親が我が子を、
子が、我が親を、
殺すと言う、「地獄絵」など、
想像を絶するが、
この世に生まれて、
その様な運命こそ、あまりに過酷である。
親は、
いつの日か、やってくる、
「息子や娘の乗る列車」に、
乗ってはならない。
「過酷な人生のレールの行先」に、
我が子の幸せを祈りながら、
「誰もいないステーション」で、
見送ることしかできないのである。