「祟りのように」私を変えた

若い頃から、

「手足」が流れるように、動き、

物事が片付いてゆく。

 

スピーディーに、

確実に、

ロボットのように、

「脳と身体」が自由自在に、

積み上げる。

 

あれから、何十年、

「昔取った杵柄」など、探してもない、

朝起きてから、

眠るまでのスケジュールは、

脳の中で、「霞んでる」

 

もはや、

家族もいない、

仕事も終えて、

友人達とのイベントも、遠のいた。

 

お気楽な一人暮らしに、

「何にもせんと」と、

コロナ以降の「自堕落な生活」が、

「祟りのように」私を変えた。

 

椅子から立って、

次のことをしようと、

キッチンで、

「フリーズしている」私がいる。

 

「ここにきた」理由、

「何かをする」目的、

用事があったことだけは、覚えているが、

「何しにきたんやろ?」

と、脳がぴくりとも動かない。

 

「かなり、やばい!」

随分前から、

徐々に、脳から、「記憶が抜けてゆく」

我が家族、友人、知り合いなどは、

まだ、存在しているが、

テレビの有名人は、

お付き合いがないので、

「名無しの権平」

 

暮らしの中の、

「ルーチンな」行動は、

身体が覚えているので、不自由はない。

「脳にしまい込んだ」記憶は

最初の言葉が出ない限り、

温存したままである。

 

固有名詞から、忘却は始まり、

過去の小さな出来事は、

本人は、思い出せないのである。

「そんなことあったんやね」

とは言えず、

「そうそう、そうやったわ」と、

「嘘も方便」である。

 

後、一年も経てば、

周りでみんなが喋っていても、

「夢の中で、別世界」

腹が立っていたことも、

人にいっぱい傷つけられたことも、

大失敗した大恥も、

みーんな、

忘却の中で、溶けてゆく。

 

最後の最後に、

私の脳の中には、

何が残るのか、楽しみである、

せめて、

「美しい思い出」で、あってと願っている。