第十八話「どんな時も、幸せで楽しいもんね」

「少女」が、

そのまま、お婆さんになった様な、

「チーコ」さん、

 

何年経っても、

イメージは変わらず、

「軽やかな女性」である。

 

思考と行動のバランスが、

悪くて、

たまに、「頓珍漢なこと」をして、

笑いをとることが多い。

 

昔から、

誰にも相談せず、

「ど拍子なこと」をするので、

あまりの事に、周りはフリーズする。

 

主役のために引かれた赤い毛氈を、

「駆け抜けたり」

投げるはずの花束の代わりに、

「ハンドバックを投げたり」

車椅子の身内を、間違えて

「知らない人を、持ち帰ったり」

弁明の余地がない。

 

それでも、

愛され、馬鹿にされずに、

離れる人はいないので、

ほっとするのと同時に、

「持って生まれた人徳」のある人は、

理屈もなく、自然体である。

 

ふわふわの御座布団に、

鎮座して、

お雛様の官女の様に、

白い着物を着て、すわれば、

何とも、「妙なる雰囲気」

 

困ったことを話せば、

すべて、吸い取ってもらえるという、

錯覚に落ちいるのである。

だから、教祖と呼ばれている。

 

私が、

そばにいて、「心配しているのではなく」

チーコが、

私から目を離せなくて、

「見守ってくれている」気がする。

 

多分、

世間に出れば、

ふわふわと、透明人間の様に、

風に吹かれて、

どこにでも、飛んでゆく。

 

どんな時も、

「幸せだもんね!」

「楽しいもんね!」

と、笑ってる。

 

いつの日か、

チーコの落ち込んだ顔を見たら、

チーコも人間なんだと、

ホッとするかもして、

よからぬことも、想像する。