「後遺症」の苦しみは、
周りからは、
忘れ去られやすい。
「事故、事件、病気」など、
その時点では、
命に関わる位の事に出会うと、
とりあえず、
命が優先されて、
まずは、身体的な傷を治す。
命が救われ、
周りの人々は、
「とにかく、よかった!」と安堵する。
意識を取り戻して、
何が起こったかを理解すると、
本人の身体や心の中に、
完全に解決できていない、
「えも言われぬ不安感」が、
残っている事を、自覚する。
後遺症にも、色々あって、
書ききれないが、
本来の病気とは、無関係な症状に、
苛まれる。
「元気になって、よかったね!」
と、言われるたびに、
そうではないし、
説明も難しい。
薬を飲めば、
薬を塗れば、
そのうち完治するなら良いが、
治らず残り、
「障害の様」になるものもある、
私もそうであるが、
持って生まれたパーツが、
壊れて、使われなくなれば、
「人工物」を、身体の中に入れて、
ハイブリッドの様になり、
何だか、馴染めない人もいる。
後遺症、トラウマ、
人によっては、
「元の暮らしに戻れず」
描いていた人生までも、
「見失ってしまう」こともある。
人が生きていく中で、
「後遺症」を、持ち得ない人など、
いないかもしれない。
病気や怪我、
人から受けた迫害や、いじめ、
家族からの虐待、
「流した一滴の血や、涙が」
まるで烙印の様に、
いつまでも、ヒリヒリと痛み、
「後遺症」として、残存するのである。