最期の叫びを受け止めて。

年老いて、認知症になろうが、なるまいが、
最後は、自分だけの世界になって行く。
社会の環境、常識に合わせ、人に気遣い必死で生きてきたけれど、「もう、いいんよ」と、
声が聞こえる。
親しかった人達、大切な人達が離れていくのではなく、自ら、自分だけの気兼ねのない、解放された世界に導かれて行く。
若い頃に貼られたレッテルは、見事に剥がれて、あんなに穏やかだった人が、怒りっぽくなったり、きつく、厳しかった人が、一日中空をながめている寡黙な人になったり、泣き言一つ言わなかった人が、ちょっとした事にも、駄々をこねる。
「うちのおばあちゃん、昔はあんなんと違うかったんです」と、家族は医者に訴える。
暴言、暴力、幻視、幻覚ありますか?と、カルテにチェックされてゆく。
自分を愛し、一生懸命育ててくれた親を、祖父を、祖母を認知症という病気で、納めてしまう。
90年も生きてきたら、我慢の限界、言いたい事、叫びたい事、手を出したかった事、いっぱい、あったはず。
目の前の優しかったおばあちゃんは、何一つ変わらない、貴方を一途に愛した人だという事を忘れないで、抱きしめてあげてほしい。
可愛い孫や、子供達のいるこの世界との決別を、本能的に知っている悲しみと切なさの狭間で、最後の叫びと生きた証を残したいと思っているのです。
貴方に、暴言を吐いたら、暴力をしてきたら、聴いてあげてほしい、少しくらい叩かせてあげてほしい。
若い貴方なら、受け止められると私は信じているのです。
そして、少しの痛みは我慢してね。