飢えてる

「みんな、飢えてるのよ!」
数年前、知り合いの女性が叫んでいた。
どう見ても、飢えてるようには見えない。
夫婦は元気で、それぞれ趣味を生かし、
娘達は嫁に行き安定し、孫もいる。
有り余る貯蓄に、不動産。
何が不足なのかわからなかった。
最近、同じ年代の人たちが、新興宗教に入信していたり、それに準じるようなネット販売の勉強会に行ってたりと、遊び以外で参加している話を、よく聞く。
決して暗いイメージもなく、勿論、勉強会費用は発生してはいるが、後ろめたさもなく明るいグループ活動である。
勿論、そこには、教祖的な存在の人がいて、
お伺いを立てたり、占ってもらったりで、生き方のアドバイス
昔と違うのは、お花やお茶を習うように、免許皆伝があるようで、セミナーをクリアすれば、
自分自身も、教えを伝えていくことができる。
私も、人からよく誘われて、この手の集まりに、興味本位と社会勉強のため、参加したことはあるが、最終的にはお金のやり取りがあり、
その時点で寸止めにはなる。
よほどのオカルトでない限り、教え自体は、それぞれテーマがあり、否定はしない。
私は、根が素直ではないため、ハマることは滅多にないが、あっという間に、人が増え広まる速度に驚く。
なぜ、ここまで、スポーツジムに行くみたいに、宗教セミナーに行くのかを考えると、
確かに、「飢えてる」かも知れない。
みんなで渡れば怖くない方式で、最初はビビるが、そのうち、同士のような存在になり、お互い励まし合い、孤独感からの脱出が出来る。
友人同士で会っても、うわべの話や、噂話で、、心は癒せず、物足りなさを感じていれば、このような、深い話や本音トークできる場は滅多にない。
70歳を越えると、死生観もあり、残りの時間を有意義に送りたいと願うあまりに、指針の無い人は、狂気のごとく遊びまくり、やりまくる。
「誰か助けて~。誰か教えて~。」と、叫んでいたら、ドンピシャの光が見えて、救われて行くように感じる。
何を信じ、何を頼るのも自由ではあるが、時々は、反対意見を言う人の言葉も聞いて、
「違うかな?」と、自分の心に異分子を入れて、客観的判断をするのも、自分探しにはなると思う。
残された人生こそが、今まで経験したことのない出来事に遭遇するし、人間として最後の山場なので、貴重な時間である。