爽やかな風

外出時、家から数分歩いた所に、小さな教会がある。
必ず通らねばならない道なので、前を歩くたびに、誰にも気づかれないほどの風が、心の中を吹き抜ける。
引っ越してきたときに、こんな近くにあるのは、「導かれて?」、いよいよ、行くことになるかもと、少し嬉しかったかも知れない。
その後、日曜礼拝のたびに、
「行ってみようか!」と、思いつつ、私の中に、まだ何かためらうものがあり、やめた。
その年のクリスマスイブの聖夜祭に、どさくさ紛れの中、思い切って教会のドアをくぐった。
顔見知りの信者の人たちが楽しげに挨拶を交わし、談笑している中で、よそ者のような疎外感を感じて、いずらかった思い出が残った。
私にとっては、まだまだ遠い場所、お仲間にはなれない人たちと、勝手なピリオドを打ってから、数年が経つ。
否が応でも教会の前を通って、家路へと向かう度に、心が伏し目がちになるのは、何故?
私の母方の叔母は、敬虔なクリスチャンで、
「貴女は、小さい時から苦労しているから、神様からは特別愛されているのよ」
と、言われていたのが、ずっと心の片隅に残っていて、今も、忘れられないでいた。
ただ、それだけのことである。
サタンの落とし子みたいな私にとっては、
聖なる十字架は、やっぱり縁はないかもと、
潔く諦めた。
日曜日ごと、教会の前に張り出される、牧師様の説教のテーマの御言葉を、必ず見てしまう私がいる。
その度に、やっぱり心の中を、爽やかな風が、吹き抜ける。