本の知性

子供部屋に、据え置きの本棚があった。
そこに並んでいた、日本文学全集。
昔ながらの、薄紙付きの立派な本が、
36冊並んでいた。
おもちゃなど、買ってもらう事など、無かった
幼少期。
あ行から始まる一番最初の作家は、
芥川龍之介全集」
退屈で、する事もなく、椅子の上に、ひょいと飛び乗り、左端一番目の本を、手に取ったのは、5、6歳の頃だと記憶している。
姉、兄が上にいる私は、結構おませで、
良い意味でも、悪い意味でも、同い年の子どもより、大人びて、優ってたかもしれない。
平仮名くらいは、当然読み書きができてはいたが、何しろ、古い言語と漢字が並ぶその本を、
開いたものの、ちんぷんかんぷん。
しかし、それなりに、タイトルの、
「鼻」「蜘蛛の糸」「羅生門」などは、絵文字のように頭に焼きついたことを覚えてはいる。
何だか、文字から想像できる不思議な題材に、興味を抱き、内容を絶対知りたいと、そのために漢字を独白した。
外で、山川駆け巡り、遊び疲れて、帰ってきても、宿題などせずに、あいうえお順に並んで待っている作家に出会っていった。
日本文学全集の後には、世界文学全集、その後には、絵画全集、最後は、百科事典が、本棚の下段に、入りきらずに控えていた。
亡き母が、家計を切り詰めて、毎月毎月、一冊ずつ、買いためていったと思う。
苦労して、4人も産んだにもかかわらず、
一人として、文学少女、文学少年には、程遠い、元気だけの子供達ではあったが、いつの日か、この本を読んでくれることを願っていたと思う。
おもちゃがないから致し方なく読んでいた本が、今の私の原型を作ったかもしれないと、
この歳になってから、分かってきたような気がする。
テレビもなければ、スマホも無い時代に、
ありとあらゆる世界に遭遇し、過去と未来の時空を味わい、偉人に出会えたことは、貴重な体験をさせてもらったと思う。
苦しい事、悲しい事に、出会った時に、必ず、
本の主人公が、私のそばで囁いた。
「大丈夫!諦めないで!本の最終章は、必ず、幸せになってるでしょう?」
40歳を待たずに、亡くなった母の代わりに、
本達が、幼い私を支えてくれた。
そして、母から知性をプレゼントされたと、
信じているのです。