久しぶりのお葬式に参列した。
亡くなる人が、かなりの高齢で、
何年も、介護施設や、療養型の病院に、亡くなるまでおられるため、社会との接点も薄く、
人間関係も、昔のように、密でないため、
忘れた頃に、亡くなられた事を、知らされる。
するほうも、近所への体裁もあり、
小さなホールで、執り行われる。
行くほうも、昔からの義理もあり、
最後のお別れに駆けつける。
家族葬に近いので、香典お断りが、
ほとんどである。
頂けば、またそれなりのお返しもあり、
面倒くささも、あってのご辞退である。
遺影は、長く、自宅にいなかったため、
近々のがなかったのか、
「あの人誰?」みたいな、昔の写真。
亡くなられた方が、90歳を超えてるので、
当然、前列に並ぶ家族は、皆白髪の、高齢者。
誰一人、涙する人もなく、おきまりの読経が、
始まり、お焼香に、喪主挨拶で、終了!
みたいなお葬式は、
「私は、しないでおこう」と、心に誓う。
本人を偲ぶ雰囲気でもなく、亡くなるのを、
待ってた感ありの、家族の安堵感も伝わって、
味気ない。
お葬式だけは、本人欠席なので、
生きてる間に、綿密に計画して置かない限り、
残された家族のための、式になる。
さっさと、済ませて、ちゃっちゃと終わろう、
と思う、家族の気持ちも、わからんでもなく、
こちらも、儀式に乗っ取り、コラボする。
自分とても、決して人ごとではなく、
改めて、人生の儚さを感じる一瞬である。
生きておつきあいして来た人たちの心の中に、
私は、どんな風に、残るのだろう?
そして、どんな風に、残りたいのか?
もはや、今更、間に合わないが、
「寂しくなるね」と、一人くらいは、
思ってほしいかな。