高齢者の底力

周りで、親が亡くなり相続した話を良く耳にするようになった。
親は、ほとんどが90歳代である。
昔で言えば大往生ではあるが、今は100歳寿命と言われ、長生きされたねも、言いにくい。
多かれ少なかれ、親が子のためコツコツ貯めて残してくれた遺産なので、ありがたく頂戴はする。
親が90歳代なら子もそこそこの高齢で、先は見えている。
今更、贅沢三昧するわけでもなく、年金もあって、「食べていけさえすればいいか!」
と、孫を抱えて家のローンに教育費にヒーヒー言ってる子供達を助けてやりたいと、自分の親が残したお金は、子を通り越して孫に行く事が多いらしい。
しかし、しばらくすると、あちこちで、
「気前よく子供らに分け与えてしまって、
自分の老後の資金がなくなって来た!」
と、慌てだした高齢者たちの声。
そりゃあそうでしょう!上手くいけば、まだ、
20年は人生残っているのに、億万長者でもないのに反省しきりである。
これからますます年老いて、医療費や介護費がかかる上に、物価も消費税も上がり、働こうにも収入はなし。
長生きしてお金が亡くなり、子供に世話になるようになったら、目も当てられない。
あげたものを返してとも言えずに困っている。「貧困老人」という言葉まで、出来たらしい。
ちょっと外出しただけで、一万円札が飛んで行くような日本では、長生きは考えもの。
本人以上に困っているのが、日本の政府。
あの手この手で、対策をするが追いつかず、
まったく、国はあてにならない現状である。
もはや、自己責任において、最後まで生き抜くしかない。
庭には、優雅な花ではなく野菜を植え、
広い家は、学生さんのシェアハウスに変えて、
元気なら、働くしかないのである。
「年老いた老人です」は、日本では珍しくもない。
昔取った杵柄?で、頭を使って考えてみようと思っている。
まだ底力は、残っているかもしれない。