人生のターミナルステーションで、
「急に死んでも」
悲しまず、
昨日までの楽しかったことで、
諦めてください、
最近、
「心臓が痛い」ので、
心不全で、
朝、息絶える気がするのです。
と、信頼する友人が言う。
そんなことになったら、
私は、
「一週間」は、泣き続けると思う、、
泣いて泣いて、
涙も枯れ果てたら、
身体も、動かず、言葉も出ず、
そのあとは、
亡き骸みたいになって、
寝たきりになると思う、
二人は、
相手より、早く死にたいのである。
だから、
呼吸が苦しくても、
心臓が痛くても、
けっして、誰にも、知らせず、
「そーっと」、
死にたいのである。
余命を、告げられてから、
看取られる方より、
看取る方が、もっと悲しい。
日々、死んでゆくのを、
じーっと見ている時間は、
苦しいから、
お互い、誰も、見ていないところで、
静かに、呼吸が止まって欲しい。
「神のみぞ知る」寿命、
「神の領域」にまで、
ああせい、こうせい、
神様も、「もう付き合いきれん!」と、
あきれてる。
こんなふうに、
「神と人間」
「男と女」
「年寄りと若者」が、
言いたいことを言える時代に、
なった事が素晴らしい。
昔から、
「ギリギリガール!」
「滑り込みセーフ!」
と、言われていたから、
「お月見の夜」
人生のターミナルステーションで、
列車に乗り遅れない様、
ちょこんと座って、
「スマホ」を、見ながら、
待っている私がいる、!