当たり前のように、
「長年住んでいた街」を、
振り返れば、
それほどの、思い入れはない事に、
最近、気づいた。
地理的なものや、
卒業した小学校や、
家族で利用した、スーパーやレストランが、
ただ、「懐かしさと使い勝手」で、
便利なだけであった。
好きな仕事から始めて、
貢献できるための、資格を取得、
経験を積んで、教育に回り、
人材育成、
気がつけば、「後期高齢者」
本人も、働き場所も、
ご辞退気味で、
残りの人生、エンディングが見えて来た。
ならば、いっそ、
行ったこともない、美しい自然界へと、
舵取りを、切ってはみたが、
「帯に短し、襷に流し」
病院もなければ、スーパーもない、
電車が止まる駅もない、
不便な山奥は叶わんし、
津波が来そうな、海辺も怖い、
親しい、知人がいる場所も、
仕事で、お世話になった人の、居る街も、
「その人がいなくなれば、ただの街」
結局は、
住みにくい街やなーと、思っても
おもんない街やなー、と思っても
自分次第に、
付き合う人間次第である。
関西財閥でもなければ、
超セレブの高級住宅でもなく、
幹線道路を入った路地の、
小さな家で、暮らすのに、
「大義名分もあるわけない」
出来れば、
「孤独死」してたら、見つけてもらえる、
「安くて、小さな」集合住宅、
目の前が、「電車の止まる駅」か、
玄関前が、「市バスが止まる駅」があり、
私も、
お出かけが、気軽にできて、
知り合い達も、迷わず来れる、
「住まいが、最高!」という、
答えになった。
「住めば都でなくても良い」のである。