「遺品整理」は、家族の宝探し

何年も前に、

「残しておこう!」

と、仕舞い込んだものが、

見つからない。

 

捨てたわけでもないが

何処かにしまったはずが、

どうしても、思い出せない。

 

こんなちいさな部屋の、

数少ない家具の中、

どこにいれても、出てくるはず、

 

宝探しではないが、

「何処かにしまった」と、

信じる気持ちが、

膨大になり、諦めきれない。

 

最近になって、

例え、包装紙であっても、

いつか何かに使えるかもと、

ついつい、「おいとく」、

年寄りくさい習性が、直らない。

 

気まぐれに、

ちょうどいいものがあったと、

思い出すが、

しまった場所は、「忘却している」

 

いつの日か、

箪笥の隙間から、

ラクタの中から、

古いアクセサリーに、紛れ込んで、

「埃まみれで」出番を待ち続けている。

 

いつかは捨てるものと、

わかっていても、

捨てるに値する時が来るまで、

「生かさず、殺さず」

 

古くなれば、

惜しげもなく、捨てれるか、

高価なもので、

人に、もらってもらえるようなものか、

どちらかが、良い。

 

隠し上手で

誰にも伝えず、

死んでしまった、知り合いの、

靴箱の中から、ぎっしり詰まった、

一万円札が、出て来たらしい、

 

遺品整理が、

他人の手によって、

ビジネスライフで、

依頼するようになってから、

随分経つ。

 

大切な物を、隠して、

隠したことさえ、忘れて、

ゴミの山から出て来た話は、

山ほどある。

遺品整理は、「家族の宝探し」である。