「第七話」掃き溜めから鶴

誰でも、

幼い頃は、「可愛い顔」がいい、

若い時は、「美しい顔」がいい、

中年になったら、「聡明な顔」がいい、

そして、高齢になったら、

慈悲深い「優しい顔」がいい。

 

願っても、

思い通りにならず!

勇気とお金のある人は、

医学の力を借りて、「改造」する。

 

どこまでも、

自然体ではなく、人工的なので、

年を重ねる中で、

皮膚が緩んだり、

浮腫んだりして、

元より、酷い状態になる事がある。

 

「チーコ」は、

昭和初期の「美人顔」である。

目立つような華やかさはないが、

清楚で、潤いのある顔である。

だから、

どんな格好でいても、

どんな場所にいても、

品格が優っているので、

「教祖」が成り立つ。

 

「ユーコ」は、

海外に馴染む顔である。

黒くて、大きな二重瞼、

日本人独特の黒髪、

ショートでもロングでも、

決して、髪の毛を茶色には染めない。

「変人的」なところが、

「神秘的」に見えるのか、

近寄る人物も、一般的ではない。

 

これくらい、

タイプが違うのに、

二人は、そっくりに見えるのは、

二人の母が、よく似ていたからである。

 

太宰治や、芥川龍之介」が、

その頃にいたら、

言い寄られるタイプだった、

かもしれない。

 

〇〇教においては、

生老病死、喜怒哀楽、

なんでもありの、相談業務

ほとんどが女性であるが、

一回や2回では、本音が出ない。

 

何度も、逢瀬を重ねて、

最後には、本音が、

「ズルズル」垂れ流されてゆく、

「チーコ」は、

気が長いし、こだわらないので、

何年かかっても、相談に乗る。

 

見料などないが、

「勝手にお礼」は、日本人の習性で、

座布団の下から、

飲んだお茶碗の中から、

トイレの洗面所から、

後になって、出現する。

 

人間関係、経済問題、身体問題、

困った事は、たった一つではなく、

全てに連動している。 

「美人」か「不美人」かは、

本人にとっては、人生が決まるほど、

影響力はある。

 

人は、容姿の話になると、

「顔じゃ無いよ。大事なのはここ!」

と、胸を叩くのである。

そんなことされる方が、

傷つくことが、わかってはいない。

 

人間の身体は、

人間が創作したわけでは無いので、

「神秘的」で、「美しい」部分がある。

パソコン教室をしていると、

ついつい、

生徒の指先を眺めてしまうが、

その「白魚」のような美しい指先に、

驚き、顔を見直してしまう。

 

たった一つだけの、

「美学」をみつければ、

掃き溜めから、

「鶴」が出現してゆくのである。