「認知症」は、最後の美学

2004年に、

「呆け」、「痴呆症」から

認知症」と言う言い方に、

厚生労働省から、広く伝わった。

 

「隠しようのない」姿が、

70歳を越えると、

否が応でも現れる。

 

最近は、

若返りの「サプリメント」や、

優れた技術の「美容整形」

それまで、

「人間の奥深く」、隠れていたものや、

「平静を保っていた」、止金がゆるみ、

 

未だかつて、

「見た事もない」、その人の秘めたる性格

「お金をかけて」、作られていた容姿、

脳の歯止めが、効かなくなり、

「隠し通してきた」、

相手への恨みつらみが、現れて来る。

 

初めて知る、

人間の中にある、「本音の叫び」

いつも、優しかった母の、

変わり果てた、「夜叉の顔」

 

「火の打ちどころのない」品格、

「積み上げられた」教養、

「歴史ある」氏、素性、

終わりを迎えた人間の内から、

「新たなる」人格、性格が、見えて来る

 

高齢になれば、

「楽しかった」思い出も、

「素晴らしい」記憶も、

「忘れられない」あの人の名前すら、

涎のように、流れおちてゆく、

認知症

 

その人の、

長い長い、人生と運命のなかで、

記憶屋に残っているものが、

悲しみ、苦しみ、寂しさ、憎悪、

いくつもの煩悩と共に、

人間の優しさ、人間の美意識、

人間の愛の深さ、人間の清らかさが、

 

心のキャンパスに、

描かれていた、

自分だけの人生の絵画が、

少しずつ、消えてゆく。

 

出逢った人々の、

美しい笑顔や、優しい言葉は、

最後の最後まで、残存している。

 

だから、

たとえ「認知症」になっても、

実感した、味わった、

暖かな心模様が、見え隠れする。

 

思わず、

「ぎゅーッ」と、抱きしめたら、

一筋の涙が、

私の頬に伝わって来た。

認知症」は、最後の美学である。