心って「身体のどこにあるの?」
「物言わぬ人」がいる。
いつの頃からか、
声をかけても、返事すらしない、
「怒っている」からでもなく、
「めんどくさい」わけでもなく、
「無視してる」わけでもない。
同じ場所に存在しているが、
「心は閉じられて」
誰とも繋がりを持とうとはしない。
話しかければ、
せめて、「はい」とか、「うん」とか、
言ってもらえれば、
安心はするが、
笑いもしなければ、頷きもしない。
一生懸命、関わって、
「心を開こう」と、努力した人は、
最後には、
たまりかねて、「爆発する」
誰が悪いのでもない。
「皆自由」だから、
どんなふうに生きていても、
いいのである。
人間社会に、生きてる以上は、
「最低限のマナーがある!」
と、大人はいうが、
では、その人は、
マナー違反はした事はないのか?
「人間としてのマナー」
「社会の法則」
「人の道」
いつ、誰が、どんな風に作ったのか?
言葉が話せない、言語障害でもない。
「話せない」
「話さない」
「話したくない」
どれでもないのである。
自分で描いた、
絵のような暮らし方のなかで、
人と人が話す言葉がないほうが、
「心清らかに、過ごせる事」を、
選んだのかもしれない。
物事と、
風景と、
状況と、
真実が、
「ぴったり」当てはまる言葉が、
欲しい。
言語、
ひとつまちがえば、
人を傷つけ、人から傷つけられる、
大切な人であればあるほど、
「傷口」は深いのである。
たった一度でも、
血管壁に、血が詰まり、
血が流れなければ、
「傷ついた血管」は
修復も、再生もできないのである。
それほどまでに、
人間の肉体の中のメカニズムは、
繊細であり、精巧である。
「心は身体のどこにある?」と、
きけば、
半分は、「頭」を指し、
半分は、「心臓」を指すのである。
本当に、
みんなが大切にしている、
心って、
「身体の中の、どこにあるの?」
教えて欲しい。