妄想は想像力。

昔から、私には、妄想癖があった。
人間関係、仕事、災害など、どんな小さなことも、考え出すと、殺人事件にまでおよぶ。
多分2、3歳の頃に、経験したことと、性格的なことが原因かもしれない。
そんな私に、朗報を伝えてくれた人がいる。
あるベストセラーの本に、妄想とは想像力の表れであると書いてあったと言う。
確かに、自分にはもったいないほどの仕事が来た時も、一瞬は喜ぶのだが、契約に至るまでに、ありとあらゆる方向から検証して、必ず、
五つくらいの、仮説を立てる。
成功、失敗、詐欺、責任転嫁、売名行為など、大体の予測を立てて、契約に至る。
大体、立てた仮説に該当するので、びっくりもしないし、被害も小さい。
人が持って来た話は、尾ひれが付いているので、うまい話は無く、徳もせず損もしない。
しかし、結果が出るまでには、人間関係を積み上げて行くので、勿論、人間として真っ当なお付き合いの中では、頭だけでなく、心も動く。
私はファンにはなって欲しいとは思わないが、
やはり、嫌われたくはないので、多少の妥協や作り笑いはしてしまうため、相手から見れば利用しやすい、つまりは馬鹿にされているかもしれない。
そんな私なので、側近のスタッフは、岩のように固い人が、昔から守ってくれている。
まず、ほとんど笑顔を見せない。
話をぶち壊すのかと思うほどの、意見、つまりはリスクから話は進める。
まとまる話もまとまらないでしょ!とも思うが、人が言いにくいことを言ってくれるので、実は、有難い。
最後に顔が怖い!
これが魔除けになって、何か企んでいる人にとっては、かなりの障害である。
石橋叩いて渡っても、悪意のある人は巧みな手を使うので、win-winになる話は少ない。
「私が、厳しすぎましたか?」と、その人は、
ビジネス的にも、私の人間関係を消滅させたことにも、落胆気味にはなるが、
私は、「想定内」である。
立てた仮説の一つにピタリとはまっているので、痛くもかゆくもない。
行く道は、三秒ごとに二つに分かれて、禅問答のように、即座に決断の連続である。
車窓の景色のように、人も仕事も出来事も、生まれては消えて、飛び散って行く。
終わったことは一瞬で過去に変容し、私の人生の歴史に刻まれる。
良きことも悪しきことも、単なる出来事の連鎖だと思う。
貴重な24時間の中で、行動している時も、していない時も、妄想が仮説を生み出して行く。
身体は、かなり退化して、思う通りには動かなくはなったが、頭の中はスマホのゲームみたいに、面白い。