残された時間の使い方。

還暦を過ぎた頃から、約束された時間が、
なんとなく見えてきて、ついつい、後ろを振り返る事が多くなる。
勿体無い60年、大義名分もなくきた60年、
思い通りにならなかった60年。
この還暦のけじめは結構意味がある。
今で言う、100年寿命で、半分でもあれば、
残された時間は、後、20年はある。
どう気づくかが、人間として明暗が分かれる。
我慢を重ねて、勤め上げた会社を退職。待ちに待った年金を、自由に使って、孫のために、旅行にとヤットコー!イットコー!グループ。
真面目なるが故に、無知なるが故に、周りに騙されてきた人は、全てにけじめをつけて、家族とも決別し、ゼロからの人生のやり直しグループ。
形はなんとか、恥かしくないレベルにはきたが、ここまでの来るための道のりが、あまりに人間として、邪悪の積み重ねであった事を、認識し、悔い改めようとするグループ。
残された後半戦が、スポーツの勝利を決める。
ゴルフでも、テニスでも、単独スポーツは、
最後の一打まで、勝負は紙一重
若い時に、ちょっとしたきっかけから、
名誉、金銭、そして愛を喪失した人が、
再び彗星の如く、復活するのも、ドラマティックではある。
私は、若気の至りとは言え、自分を大切にせず、愛さずにきたので、他者を愛することも知らず、傲慢で切り刻んで、人も物も傷だらけにしてきた感があり、反省しきり。
そのために人を助ける仕事や、若い人に伝える教育を選んだが、理念に基づき、前に進むと、
私の中の血が騒ぎ、形状記憶のように傲慢な自分が首をもたげる。
言い聞かしても、直らない持って生まれた習性と、家系に脈々と流れる、因果応報の傾向性が、じゃまをする。
もはや、残り少ない時間の中で、成熟した人間になりたいと、願ってはいるが、
本来まっすぐであるべきはずの背骨が、生まれた時から右肩上がり、くせなら直せるが、
やっても、やっても右肩が上がる。
最初からひん曲がった私の魂性に、呆れ果てはするが、なかなか手応えもあるなと、余裕の私がいる。
あれから10年、後10年。
ピカピカには光ってはいないが、死ぬまでには、汚れくらいは落としたいとは思ってる。