人間関係論

「たら」は、北海道にしかいないけど、
私の父が、父でなかったら、一人の男性として、尊敬出来たかもしれない。
私の夫が、夫でなかったら、いつまでも、お付き合いできたかもしれない。
というように、生まれて来た瞬間から、人間関係論が、成り立っているので、フラットには見れないし、合わなければ、最悪、犯罪にまで至る。
関係性を超える場合もなきにしもあらずで、
高校の先生が、生徒と、恋愛し、結婚した友人もいる。
どんな素敵な先生であっても、師弟関係があるので、私からすれば憧れで終わる。
しかし、結婚した二人は、その関係を超えて、
一歩踏み出すが、「おめでとう!」と、いいながら、どうやって育んで来たのか、
やっかみの声もなきにしもあらず。
どうあれ、他人同士は、別れれば、そこまでの関係が終わり、何の責任もないことを、法律も証明する。
厄介なのは、血縁関係である。
親子関係は、大嫌いと思っても、顔も仕草も思考も、似てくるので腹立たしいが、年を経て、
「親の歳になって、初めて親を理解できるわ」
と、自然淘汰できる場合もある。
一番不可思議なのは、兄弟、姉妹関係である。
幼い頃は、同じ環境、同じ条件で育つが、
何故か、大人になって、嫁が来たり、嫁いだりと、他人が入って家族が出来上がってくると、
ややこしい。
神世の昔から、権利や支配の取り合いから、
兄弟同士で、争い、殺し合いにまで発展する。
こうなると、他人も身内も、なにがしか揉めるわけで、冠婚葬祭にしか合わない遠い親戚の嫁など、見たこともない状況で、
「あの人、だれ?」「知らんわ!」
それでも、脈々と家系は継続する。
同時に、因縁も、恨みも継続するらしいので、
今まで、出会った家系で、何の問題もない家は一件もない。
人間同士が統率できないので、神様が、それぞれの心の中にいるのかもしれない。