一つ屋根の下で。

良く気遣える人と、気遣えない人とでは、
気遣える人が、神経を使う。
綺麗好きと、綺麗好きでない人とでは、
綺麗好きの人が、労力を使う。
経済を考える人と、経済を考えない人とでは、経済を考える人が、体力を使う。
人は、 夫婦でも、恋人でも、
「凸凹やから、いいんよ。同じやったら、
息詰まるやん」
と、昔から言われて来た。
そうなんかなーと、最近、つくづく思う。
私達、夫婦は、見事にそのカップルだったので、暮らしがうまくいかず、壊れてしまった。
性格や思考は、それぞれ個性だし、理解すれば、触らぬ神に祟りなしで、見て見ぬ振りは、出来るかもしれない。
しかし、日常生活の中の習慣的行為、行動は、相手が、体調悪かろうが、御構い無しや、僕、散らかす人、貴方片付ける人になったり、お金は天下の回り物と、のんびり構えている人とは、人生設計、非常に、難しい。
この部分に関しては、育った環境の中で、長年培われた生理的な問題である。
親や兄弟と暮らしていた中では、責任範囲が、小さいので、
「うちの子は、部屋がひっくり返ってても、平気なんよ」と、
オカンが、笑って許して来たから、悪い事とは、本人は認識がないのである。
お金に関しては、学費を親が知らん間に出し、食事は自動的に出てくるし、贅沢にも、車まであてがわれて、お金を天下が、回してるのでは
なく、親がして来たことに、罪悪感がない。
気遣いに関しては、自分の家族さえ良ければ感の強い家庭、つまりは他者の事に無関心の家庭に育った致命的な原因があるとは思う。
生まれ育った実家を引きずり、二人のスタートは出来ないのである。
男と女、男と男、女と女でも良いが、一つ屋根の下で住むと決意した時からは、システムとマニュアルを作るところから始めるべきだと思う。
どんなに、相手を好きであっても、居心地の悪い空間では、心が疲れてくる。
それが、どうしても出来ない人とでは、
別々に暮らすのも、一つの選択肢ではある。
これからは、そんなカップルも増えては来るが、子供を作らない前提条件にはなり、少子高齢化は、ますます進んで行くのは、困るかな。