人間の見極め

初めて会った瞬間に、ビビッと来て、結婚し、
失敗した人もいる。
まあ、感覚的な人は、こんな感じで、
失敗しても苦にせず、またの出会いを待つ。
仕事柄、たくさんの人に出会いすぎたのか、
最近は、私情的な感覚で、人を見る事は、
なくなってしまい、多少夢をなくした。
まず、話を聞いて、しばらく様子観察。
自ずと答えが出るに任せる。
かなり、用心深くなってしまったのは、
利用されたり、後で痛い目にあったりしたからかも知れない。
ビジネスでの出会いは、お金が絡むので、
なかなか、真の人間関係は作りにくい。
教育の場で、出会った人たちは、損得勘定がないので、最初から、純粋に向き合える。
ただ、先生と生徒という関係論から、
生徒からの過剰な信頼、依存があれば、
こちらの何気ない言葉で、
「裏切られたわ!がっかりやわ!」
など、一方的判断をされることもある。
不思議と、教壇に立ち、何十人の生徒が、一望できる中で、この人は、この子はと、ピンと来たり、資質が見えてくる。
何故なら、集団の中での、自分の立ち位置を、
わきまえていて、他者のために、自分のできることを行動に表せる人は、数少ない。
そんな責任あるしんどいことを、最近は、
わざわざ、あえて、積極的にする人は、
少なくなって来た。
リーダーシップ的な存在の人は、よく学び、よく動き、人からの羨望もあるが、それ以上に、
自分自身の問題を、多く抱えている。
自分のことより、他人のこと、全体のことを、
優先するために、自身のことは後回し。
神世の昔から、そういう人は、自殺したり、殺されたりする羽目に陥る。
素晴らしい存在を無くしてしまい、残念な気持ちになる。
人間は、皆が皆、精神性が強いとは限らない。
先天的に、後天的に弱者や困窮者が、ほとんどである。
そういう人達を、救えるのは、やはり、たった1人の人の言葉であったり、行動である。
家族の為、他人の為、会社の為、地域の為、国の為、世界の為に、行動できる人が、人格者であり、人間としての品性を持ち合わせている人物と、言えるのだろう。
きっといる、必ずいると信じて来たので、
まだ、出会える希望はある。
会える条件は、自分もまた、ステージを上げなければ出会えないと、知っている。