遺体は、痛々しい。
お骨になると、一瞬で姿が消えてなおさら切ない。
最近は、お葬式をせずに、24時間安置して、
火葬場に向かう直葬が多くなったと聞く。
「葬式無用。戒名無用。」
といった有名な人がいたが、どうなんだろう。
そろそろ、自分も含めて現実的に、お葬式のことを考え始めた。
何故なら、お葬式には、私はいるが実際には意見が言えない状態だからである。
ましてや精算もできないので、誰かに迷惑がかかる。
ソコソコのお葬式といっても、昔から法外な金額である。
何しろ儀式ではあるので、全てにおいて値段はつけようがない。
お花の種類、祭壇の種類、果ては坊さんの宗派によっても値段が違うらしい。
昔は、どんなに貧乏しても、借金してでも亡き人に対して、生きている人間がせねばならぬ儀式であった。
現代においては、これほどの高齢化になり、お葬式には身内が数人だけも珍しくはない。
だから小さな葬式「家族葬」が流行り出したのである。
互助会、共済、いわゆるローン形式である。
パンフレットを見ながら、説明を聞いてると、
なんだかネット販売のような軽さである。
言う方も言いにくいが、聞いてる本人も一瞬で悲しみが遠のく。
最後には、
「ご本人様以外にもご身内ならば、直ぐに変更できますよ」
と言われても、返事のしようがない。
人の死を避けるのもどうかと思うが、こんなにもビジネスライクに進めるのもどうなんかは、
考えてしまう。
他人は準備をしにくいだろうから、やっぱり、
本人が決めておきたいとは切実に思う。
「残った人が、好きにしたらいいのよ。
お葬式は残された人の責任範囲」
と言う人もいる。
生きて選択肢がある間に、子供にはこそっと伝えておきたいとは思っている。