死に逝く準備

死に逝く人をたくさん見て来たら、
本当に、「生きててなんぼ」だなと、つくづく思う。
この世から、自分の存在はなくなり、ありかは消えて、さらに人間ではなく、仏様に一瞬で変えられてしまう。
あちこちで、エンディングノートを書いたり、
自分のお葬式を準備したりと、
「残された人に迷惑をかけない様に」
と、用意万端している高齢者たちが増えた。
最近になって、私は
「ほったらかしにして死んだらいいやん!
散々、生きてる時にあんたらの為にして来たんやから、死んだ時くらい遺産相続も、遺品整理も、自分たちでやって見たらいいやん!」
と、毒づく自分もいる。
もうすぐ死ぬかもしれない恐怖と不安の中で、
私は、そんなに落ち着いていれるだろうか?
死に逝く人を側で見守り、眺めている立場とは
想像できないほどの苦しみが、本人には去来するはずである。
亡くなった後始末の中で、分からないことや、
難問題が出現してくるのである。
紐解いていく中で、死んでいった本人の、真実の人生が見えてくる。
「えーっ!うそー!」
知らなかったことも発覚する。
人間の一生分の遺されたものは、深く、重い。
普通のお父さん、お母さんとは違っていた事を認識するのである。
全ては、遺された人達のために生きて来た証である。
亡くなってから見えてくる真実が、これから生きていく私達に、大切なことを教えてくれるのである。