高齢者の覚悟

お正月が来るたびに、寿命が近づいて来る。
と思っているのは私だけなんだろうか?
最近は、物を買う時も考えてしまう。
毎日の生活用品はかまわないが、
身に付ける物や、長く使うものは躊躇する。
セールで安くなっているコートに、うっかり手が出ると、もう1人の私が止める。
「あと、何回冬を迎えれるの?」
10回としても、勿体無いし、クローゼットの中がかさばるかも?
たまには気分を変えて、綺麗な高級食器に目が行くと、また、もう1人の私が止めるのである。
あれほど「食器は増やしません!」と、誓ったのは誰?
友人に話すと、
「何言ってんのん?80歳越えても、バリバリ元気で、出歩いてる人いるよ。まだまだあるやん!」
「好きなことして生きたらいいんよ!」
と、縁起悪そうに叱られる。
皆んなはどこまで生きれると思ってるのかと、不思議である。
過去70年、あっという間。
10年なんか、瞬き一瞬。
寿命が来る前に、南海トラフ、二人に一人の癌にもなるかも知れないのに、誰も自分の死には向き合わない。
20代の娘やあるまいし、嫌でも死は迫って来る。
今更何になりたいかは無いが、どう生きたいかを最後の最後に考えたい私は、いつも死を意識した暮らしをしている。
この世でせっかく出会ったのだから、今まで話せなかったことを、いっぱい話そうよ。
半人前になったから、助け合って過ごそうよ。と思っているけど、会えば、
「孫の話」や「旅行の話」や「趣味の話」
で終わってしまう。
自分の死に向き合うことは、確かに淋しいし、
悲しい。
永い人生、何度も何度も苦しいことを乗り越えて、やっと、ここまで生き延びたと思って、ホッとした途端に見えて来る自分の死。
「もう、勘弁してよ!」
「その時が来たら、その時よ!」
と、開き直る気持ちもわからんでも無い。
口には出さなくても、皆んな覚悟はできている高齢者である。
どう、生きるかはそれぞれである。