へこたれない嫁

期間限定の案件は、計画能力と処理能力が必要である。
しかし、現実はそう簡単にはいかない。
風も吹けば、雨も降る。
相手の都合もあれば、自分の都合もある。
そして、何より社会の制度も変わり流れもある。
今回、私に起こった出来事を通して、つくづく痛感させられた。
たかが、一軒の家の整理など簡単と甘く見ていたことを反省している。
義父から住み始めた家を処分することになり、
まずは、生活用品から仕分けしながらの作業。
思いっきり捨てれるので、快調に進んではいたが、何しろ、60年間の蓄積物は凄い!
70リットルのゴミ袋に詰め込んでは、車に満杯にして、市の焼却炉に持ち込むというアナログな作業。
家具や電気製品などは、業者に引き取りをお願いしたが、お金にならない物は、こちらがゴミにして処分という前提。
さっきまで、家を飾っていたものや、思い出深い身の回りのものがゴミになっていく様は、
深く考えさせられるものがある。
人間が暮らしの中で必要なものを揃え、便利に活用しているときは、あって当たり前の感覚で生活してきたが、その家の住人がいなくなると共に一緒に消えてゆく。
この家のどこに、これだけのものが収容されていたのかと今更ながら驚く。
毎日の生活ゴミは、きちんと燃えるゴミ、燃えないゴミなどそれぞれ分別されて、なんら困ることのない回収制度がある。
しかし、今回の様に家の明渡しになる特別ごみになると大変であると分かったのである。
次なる場所に荷物を運ぶわけでなく、完全処分である。
「家具は、一個900円で、一回で5個まで、
電化製品は小物までで、大きなものは回収しません。買った電気屋さんにお願いして下さい」
と言われてしまった。
焼却炉に持ち込むゴミは、燃えるゴミと燃えないゴミ、予約して10キロごとに900円、買取専門業者に頼めば、買取の額より回収費が上回り何十万かかる。
大概のことはお金で解決できるが、大切な思い出家具も、売れなければ粗大ゴミになり、お金を支払い始末することになる。
たかがゴミ、されどゴミと侮るなかれ。
自分達が好きに買ったものは、いらなくなったからとポイ捨てはできなくなったのである。
代々の家系が、存続させてきた家族の居場所は、霊的なことも含め意味が深い。
三男の嫁で、長く住んでもいなかった私に、
この家系の幕を降ろす、白羽の矢が当たったのである。
どうあれ、諦めず丁寧に、最後まで処理を終えることが責務だと思う。
何だかわからないが、かなりの重圧を感じるのは、元過去の住人たちの思いと念があるからかしら?
「貴方達が遺して逝った物の後始末を、一生懸命片付けている私に、お礼の一つも言ってもらいたいくらい。」
と、願っている。
子供を育て上げ、親を見送り、夫を見送り、
嫁が最後にする作業であるのかも知れない。