「おいといない暮らし」から、奈落の底へ

「明かり取りの窓」から、

光は、ささず、

待ちくたびれて、起きたら、

時計は、4時を指していた。

 

十分睡眠を、とったはずだが、

まだ、夜も明けず、

目が覚めてからの、

「長ーい」、「退屈な」一日が、

始まるのである。

 

歳を取ると、

親戚縁者からは、「他人扱い」で、

すっかり、ご無沙汰になり、

「ご機嫌伺い」すらない関係にもなる。

 

思い出したように、

たまに、

友人から電話があるが、

お互い、「時間の経過」も無い者同士。

「いつの話」か、わからない話に、

花が咲く、

 

「熱い寒い」の、感覚も鈍くなり、

熱中症で、

高齢者の死亡がふえるのも、

さもありなん。

いつの頃からか、

ダラダラ流れる汗はかかず、

エアコンすら、つけるのも忘れる始末。

 

世の中、

幸せなことに、

「おいといない」高齢者も、

周りには増えてきて、

「残り少ない人生」、

悠々自適で、楽しんでる人たちもいる。

 

今で言う、

親ガチャ、夫ガチャの、

当たりが良くて、

便利な場所に、家を残してくれたり、

死ぬまで、そこそこの資産があったりと、

「おいといのう暮らしてる」

婆様方も、いらっしゃる。

 

「船旅」に出て見たり、

「お金のかかる」おつき合いにも参加したり、

デパートの、「ご優待」に招待されたり、

「夢みる老後」も、

なきにしもあらずだが、

 

どんなに、

「おいといない人」も、

老いて、身体は動かず、

言葉も理解できずに、脳は衰え、

どなたかに、お世話になる日は、

いつの日か、

必ず、やって来る。

 

「おいといない」暮らしから、

ある日、突然「奈落の底」に、

落ちるより、

「おいといある」暮らしでも、

粛々と、変わらず生きて行ける、

エンディングの日々でありたいと思う。